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真宗大谷派の思想を批判するブログ。批判とは、否定ではなく「なぜそのような考え方をするのか」「なぜそれが正しいのか間違っているのか」を論じること。

冷たくなった大乗仏教:本多弘之氏の「親鸞思想の解明」について

 このどうしようもないブログも細々と続きながら、アクセス数はなぜか異常な程多い。一体どんな人が見ているのか皆目検討がつきませんが、皆様は仏の四十八願をちゃんと言えますか?在家の人はさておき、僧侶や寺族には漏らさず知っておいて欲しいところ。

 そんなわけで今回は四十八願の中の第三十八願「衣服随念の願」について考えたい。もちろんこのブログは批判という形式を取るので、その対象が必要となる。

 対象となるのは親鸞思想の解明:研究活動報告:親鸞仏教センター

第三十八願ってどんなの?

 第三十八願は「たとい我、仏を得んに、国の中の人天、衣服を得んと欲わば、念に随いてすなわち至らん。仏の所讃の応法の妙服のごとく、自然に身にあらん。もし裁縫・擣染・浣濯することあらば、正覚を取らじ。」という願。

 仏様が作った国の中で、人々が服を欲しいと思ったら、その思う通りに服が手に入るように、そしてまたその国のなかで裁縫や洗濯、染色をする人々がいるようなことがあるのならば私は正覚を取らないということが願われている。

 洗濯や裁縫とは少し庶民的な話題に感じられるかもしれないが、これをどのように解釈するべきだろうか?

本多弘之氏の「冷徹な」解釈

 さて、ここで参考にするのが、本多弘之氏の解釈。

これは文字どおり、物が与えられるというふうにも読めますが、法蔵菩薩の本願の意味を考え直して見ますと、それは、人間個人の思いを超えて一切衆生の生きることの一番根に呼びかけている。生きるために悪戦苦闘している人生に、悪戦苦闘しなくてよい条件を与えようという呼びかけなのですが、それは物を与えることが目的なのではなくて、願に触れることが本当に生活になるなら、そこで生きることの意味が変わる。仏陀の願いに触れて立ち上がって見ると、生活のために人間の欲で欲しいと思っていた物が与えられるのが救いなのではなくて、願を生きるところに、願を生きるだけのそれ相応の生活物資に恵まれていることが見いだされてくる。そういう意味転換が深い意味では考えられるのではないかと思うのです。衣食住といった問題は、もう本当に物がない時代であれば切実な願いかもしれません。けれども、この切実な願いが満たされたら宗教的に人間存在の意味が満たされるわけではない。人間の欲は満たされるけれど、欲が満たされることが人間の救いではありません。

 つまり、この第三十八願は人間の物質的幸福を願うものではないらしい。それが満たされることは人間の救いではなく、仏の願いに生きるにはすでに十分な生活物資に恵まれているということに気がつくことが大事らしい。つまり、物による幸福ではなく宗教的な幸福に気が付きなさいという願が第三十八願らしい。

そんなわけないだろう

 衣食住の問題は人間存在の意味が満たされるものではない?本当にそうだろうか。衣食住は精神的な幸福とは無関係なものなのだろうか?第一「浣濯」「擣染」といった言葉が出てくる時点でインドのカースト制度を思い浮かべるのが当然ではないだろうか?したがって衣食住の問題はただ着て食べて住むというだけではなくて、常に差別の問題と繋がっている。差別は人間存在の意味の剥奪に関わるし、それが精神的な幸福と無関係だと言うのは間違っている。これを単に人間の低次元な欲求だと考えるのは何か頑なな感じがする。

 洗濯や染色は不可触民の仕事であると決めるカースト差別を意識し、その差別をなくしたいという願いが第三十八願から感じ取れる。とても広く、暖かい願いである。いや、もしカーストでなくても洗濯の辛さというのは冬であれば大変な苦労であるし、裁縫も同様である。洗濯や裁縫は、インドのカースト制度の問題に限らず、日本では男女差別の問題とも関係している。「ただの家事」と思って侮っていてはいけないし、これを単なる比喩として読み解こうとするのは余りにも冷徹。これがどんなに切実なものか、洗濯裁縫等を手作業でこなしてもらいたい。

 私はもちろん物が手に入るということだけが幸福につながるとは思っていない。しかし、物質的ではなく精神的なものが大事というような安易な思考もどうかと思う。「救い」というのはそこまで単純な話ではない。しかし本多氏の解釈が用いているのは「精神的幸福」対「物質的幸福」という極めて近代的な二項対立の図式だと思われるが、この思考自体正しいとは言えない。この近代的で古びた線引きは本来仏教的な立場から見れば廃されるべき虚妄ではないだろうか。この図式を「問う」日はいつ来るのか。

自覚の末路

 私は物質的にも恵まれて育ち、大学まで行かせてもらった(この宗門には、大勢が高卒で就職している時代に一浪して私立大学に入学し大学院まで進んだにも関わらず自分のことを「こんなに苦労した人間はいない」と堂々と言い放つ方もおられますが)。それに、切実な思いの中洗濯や裁縫をしているわけでもない。だから「教えを自分のことに引きつけて、自分との関わりの中で考えなさい」と教育されたなら、この三十八願を物質的な豊かさのことではなく、それよりももっと高次の次元について言っていると解釈しただろう。しかし、私は自分に引きつけるとかそういうことに関心がない。自分に寄せた解釈を実存的、あるいは信仰主体的、実践的と安易に形容するのはもうやめにしよう。

 私にとってはその願いの広さが重要なのである。自分がその内容に関わろうがそうでなかろうが、その願いが自分とは全く別の場所の地球の裏側の人々や自分とは違う時代に生きる人々にも通用するようなものでなければ意味がないと思っている。そうでないならば私は仏の願など信じないし、無意味だと思う。

 自覚を大事にした教えは、部落差別問題をないがしろにしてきた。怒りの声によって動物的な恐怖を感じるまで、そんなことはどうでもいいと言ってきた。「自分に引きつけて考える」、「自覚」、「自己とは何か」、そういうことだけを主題とする限り、差別を黙殺する構造が変わることはない。この本多弘之氏の解釈が実にそのことをよくあらわしてくれている。こういう解釈にいつもがっかりさせられる。差別の問題は教えとは別、事故のようなものだと思っている人がよくいるし、それが個人の心がけ次第だと思っている人がいるが、そうではない。心がけ云々だと思っている人は、歴史や思想に対して絶望的なほど無知なだけだと思う。

本当の豊かさっていうけれども

 繰り返し言うが、もちろん私とて物の豊かさだけが幸福につながるとは思っていない。しかし「物の豊かさは幸福ではない」っていうのは古臭いし、近代人が啓蒙したがる類のものだと思う。それはそれである時代においては社会と相応していたからこそ諸々の先生方はそんな話をしていたのであろうが、現代の人々がそれに縛られる必要もないし、もっと時代と対応した解釈を考えるべきである。それこそ仏の願はどんな時代のどんな人にも当てはまる大いなる知恵なのだから、その時代ごとの人々が解釈していけばいい。

 「現状肯定」「そのままでよい」っていう教えは革命が困難で、耐え忍ぶことの意味づけが必要とされる時代においては効果を発揮するかもしれないし、耐えて生きている人の支えになったかもしれないし、それが江戸時代の真宗だったのかもしれないが、現代はそうではない。「現代と親鸞」というテーマをよくよく考えていかないとね。

大谷派におけるジェンダートラブルについて〜「女性室」の無意味さ〜

今日は「ジェンダー」の問題について考えてみたいと思います。#Metooや政治家のセクハラ問題など敢えていうまでもなく社会の中で性差別は重大な問題なのですが、現在でもなかなか性差別の問題が是正されていないのが大谷派です。大谷派で女性の得度や住職就任が認められたのは、戦中期の男性不在の状況を補うためであり、女性の権利向上を目指した運動によるものではない。しかし、その後社会から遅れをとりながらも1996年には限定的な条件が撤廃された上での女性の住職就任が認められたことに対してはそこそこの評価が与えられるべきだと思っています。

「セクハラちゃん」...???

ジェンダー問題に関して、一応本山には「女性室」なる部署が置かれています。その趣旨は以下のとおり。

女性の宗門活動推進を取り組むために、1996年7月宗務所織部に設置された機関です。その後、2005年7月より所轄部門が組織部から解放運動推進本部に移行しました。
女性室は、めざすべき教団像として「男女両性で形づくる教団」を表明しています。女性であれ男性であれ、「女である」「男である」ことの苦悩から解放され続けながら、人間という、関係を生きる存在として、お互いを「同朋」として見いだしていける関係を生きたいという願いのもと活動しています。 

 「女である」「男である」ことの苦悩から解放される、とあるのに「女性室」という限定的な名称が用いられていることには敢えて突っ込みませんが、どうやら「男女両性で形づくる教団」、お互いを平等な関係として生きる組織を目指すために設置されているようであります。素晴らしいことです。

男女共生のための啓蒙活動を行なっているみたいなのですが、私はこの「負けるな!!セクハラちゃん」っていう動画はどうかと思うんですよね。

youtu.be

私はセクハラはほとんど犯罪だと思っていますし、男女差別に対しては真剣に向き合ってもらいたい、いや男女差別に限らず異性愛主義や人種差別や障害者差別に対してもそう思っています。この動画はライトな啓蒙活動を行なっていますが、事の重大さを認識できていないのかな?という感じがします。もっと重大な問題として扱わないと、セクハラが罪であるという意識は形成されないと私は思います。性差別を「街で困ってる人を見かけたら助けよう」とかそういうレベルで啓蒙するのは、時代遅れもいいところ。

大谷派内でセクハラ被害にあったらどうしたらいい?

同朋会館とかってけっこうセクハラが多いみたいなんですが、こういう相談ってこの女性室にしたらいいんでしょうか?それとももう外部の団体に訴えた方がいいんでしょうかね。去年くらいに問題になった補導の人への給与未払い問題とかも外部のunionに訴えてやっと問題化されたって感じなので、たぶんとりあってもらえません。「同朋」っていつもいってるのにせめて形だけでも相談窓口つくってくれたらいいのに。「解放運動推進本部」とか言っちゃってるけど、どうなんだろう。

数年前から男性坊守が認められるようになりましたが、本来ならば坊守そのものの権利を向上させるべきだと思います。寺院にとって重要な役割を担っているのに選挙権も与えられていないし、なんだかなあって感じです。「女性室」がんばってください!聖教のなかの女性差別的な表現について勉強するよりも(それも大事だけど)、いまの組織の中にある現実の現在進行形でおこっている差別について目を向けてくれ。

「男らしさ」「女らしさ」の押し付けがすべての差別の原因なのか

「男らしさ」や「女らしさ」からの解放だけが、差別の解消につながるのかなあ。男らしさと女らしさの解放に続くのは「人間らしさ」の押し付けじゃないのだろうか。それか「真宗人らしさ」の押し付け。仏像売買の件で先日書いた記事でもそうだったけど、「真宗人として」みたいなものを安易に押し付ける風潮って宗門内で溢れてて、しかもその内容が間違ってたりします。

坊守は有教師よりも下なのか?

例えば「女だからって家事掃除洗濯家事子育てをするのはおかしい」と思っている坊守が教師資格をとる場合、確かにその主張や行動は正しいと思います。でも、私はそこには「坊守」を下に見ている雰囲気も少し感じます。坊守業が劣っているから女は坊守に限定されずにもっと向上できるという図式になってしまうのはどうなのかなと思います。

性別で住職坊守が決められるのがおかしいというのと同じくらい、住職坊守に優劣をつけることもおかしいことなのです。宗門内でジェンダーを語るのなら、それが単に性別だけに関わる問題ではなく、「住職」「坊守」そのものも同時に問題にすべきなのです。

 

追伸:

いつも思うんだけど、行者宿報偈を持ち出す法話とか研修会ってほんと気持ち悪いなあ。ちゃんと吟味して話題にしないと、単なる男の性欲肯定論にしか聞こえないんだが...中年過ぎた男がこれについて話してるとゾッとしちゃう(これって差別ですね)。

大谷派の「寺院活性化」へ物申す

先日しんらん交流館から頂いたたより(2018年3月31日発行)には「寺院活性化支援室」なるものの紹介がされていました。過疎や人口減少に伴う寺院の斜陽が問題となっている昨今ですが(そもそも寺院や僧侶を不要とする社会の流れの元凶を「過疎」「人口減少」に限定してる時点で世の中を見る目がない)、その問題に取り組むために大谷派では「寺院活性化支援室」が設置されているらしいのです。

そこが何をやってくれるのかというと「過疎地域の寺院を対象に講師派遣を通じて教化活動を支援!」と書かれているではないですか。

「お寺でお役立ち講師派遣」では、過疎地域の寺院への教化活動支援として、寺院の要望に応じた専門知識や技術をもつ講師を派遣します。派遣にあたり、寺院の現状を把握するため、住職・寺族をはじめ、ご門徒との事前打ち合わせを充分に行います。現在、京都教区出雲組と長崎県五島列島にある寺院で講師派遣に向けた準備を進めています。

つまり、寺院を活性化させるために、専門知識や技術を持った講師が本山から派遣され、その派遣の前に状況把握のために打ち合わせを行う必要があるらしいのです。しかしそのレポート(http://jodo-shinshu.info/category/ganbaru_entry/temple-katudou/)を読む限りでは具体的な講師派遣はいまだ実現されていない模様。現状では、「事前打ち合わせ」だけが行われているみたいですね。寺院とご門徒の橋渡し的な感じで、いろんな要望やアイディアの出し合いみたいなのがこの「打ち合わせ」で行われているようですが、「たんなるアイディア大会なのでは...?」という印象が拭えない感じですね。しかも、このレポートもなんだか旅行記のような。

門徒さん=総代さん?

まあ、話し合いもありかなーと思うけれど、こういう会に立ち会ってくれる門徒さんはだいたい親切で寺院に好意的な方がほとんどじゃないでしょうか。こんな話し合いをどれだけ重ねても現状の打開は私は無理だと思っています。お寺に来ない人の意見や、それを想像する力が最もいま寺院に必要とされているのではないのでしょうか。想像力がない、っていう人が取る選択肢は頭脳を磨くか滅びるかの二つですね(そういうことは成功してる人は教えてくれません、いまや潰し合いの世界なので)。

「元気なお寺セミナー」が流行っている中、みんな「総代さんと話し合いをした!」とか「門徒さんとともに」とかしきりに言っているけれども、それは「門徒さんたち」というか「一部の門徒さんたち」。仮に「総代さんたちがいいと言ったので、行事を増やして、門徒さんたちにも掃除や御斎の準備や兎に角いろいろ手伝ってもらうことになった」という決定が「話し合い」でなされたとして、「話し合い」の場に来るのは寺院に好意的な門徒さんたちばかりなのでお手伝いもしてくれるし、そういうことには賛成してくれるかもしれないけれど、そうではない門徒さんたちにとっては違う。勝手に決められた決定によって役割を与えられて、さらに寺に不信感が増すだけだと思います。

よくわからないけど「話し合い」をすればどうにかなる、とまだ寺院関係者は思っている。しかし、それではもう手遅れ。

「過疎」を解決してくれる専門的な知識って何だろ

この過疎地域の寺院活性化のための専門知識をもつ講師、というものに具体性を感じない。そんな超人どこにいるのだろうか、どうやって育てるのだろうか....。まあ、こういうことは実績をもって証明していただく他ないでしょうね。がんばってもらいたい。でもさ、この講師ってのもどういう出自なのか気になりますよね。本山経由でわざわざ派遣されて来るようなおそらく僧籍をもった人がくるんでしょうけど、そういう人って結局そういう行動が可能な状況にあるってことはその人自身日々のお勤めに空きがあるってことじゃないですか。忙しい寺で経験を積んでいる人はそういう講師になる暇はないし、結局そういう講師になるっていうこと自体その人自身が暇なお寺にいるっていうことなんじゃないのかなあと素人ながら感じてしまいました。正直にいうと、忙しくしてるお寺の人の振る舞いとか経営方針とかの方が気になるところだし、講師になるためのちょっとした研修を受けたみたいな人が来ても本気で悩んでるお寺の人は困ると思いますね。

元気なお寺、って何だ

たち戻って考えたいんですが「元気なお寺」ってなんなんでしょうかね。子ども会とか、催し物やってると活気あるお寺みたいに見えたりするけれど、本当のところどうなんでしょうか。そういうところも寺院関係者は冷静に判断すべきなんじゃないかなと思います。門徒じゃない人を集めて子ども会とか学習会みたいなことしても、実際に寺院を支えるための収入にはならなかったりするし、まあ効果はあるかもしれないけれど遠回りすぎる...。寺院活性化=人が集まる!って考えてるだけではたぶんダメですね。

しんらん交流館、って呼び捨てにしてんじゃねえよ

個人的に、このしんらん交流館という存在自体どうかと思うんですよね(名前自体「しんらん」と呼び捨てにすることにも違和感を感じるし、「真宗交流館」ではなぜいけないのだろうか)。もっと世の中の弱い人の役に立つようなことをしてもらいたい。「こども食堂」の開き方とかノウハウとか、それか宗門内のセクハラ・パワハラ相談窓口の案内とか(ちなみに解放運動推進本部は差別問題を取り扱う部門だそうですが、「宗門内」の差別問題には全く取り合ってくれません)、そういうことやってくれたら本当に助かるなあって思います。

ほんとうにコミュニケーションを大事にしているのなら

それこそ本山の方針とか教区のあり方とか、箱モノを作ることに関することとか、そういうことを本山が門徒さんたちと話し合うべきなんじゃあないんでしょうか。それに知らない間に「今までの金額だと維持できないので」っていう理由でいろんなものが宗門内で値上がりしている中、単に値上げするだけじゃなくていろいろ方策を考えろよって思いますね。ほんと、腹立たしいです。ホテルに泊まれる金額で同朋会館に泊まらせようなんて、人や門徒さんたちをバカにしているとしか思えません。

本山ってほんとに過疎化を解決してくれるの?

ちなみに西本願寺ではこういうのがあるらしいです。

http://www.hongwanji.or.jp/source/pdf/jiin-kinko_02.pdf

寺院復興金庫ですって。困ってる寺院に援助してくれるみたいです。上にあるのは貸付のリストですが、助成のリストもあるので、興味のある方は本願寺派のサイトにいけば見れます。それと無知なんで申し訳ないんですが、大谷派にはあるのかな?知ってる人教えてください!(ないなんてことはないと願いますが....)

念仏の不在が蔓延する大谷派…:「僧侶の法話」田中顕昭

先日、真宗会館の日曜礼拝の法話が紹介されていた。

kotonoha.shinshu-kaikan.jp

田中顕昭という方の法話だそうだが、この法話のキーワードは「“たい・たら・ぶり”は往生のさまたげになる」だそうだ。

「たい」は「ああしたい、こうしたい、ああなりたい、こうなりたい」。「たら」というのは「あの時こうだったら、あの時こうでなかったら」。「ぶり」は「判ったふりをして、つもりになって生活をしている」ということ。往生とは、今を生きるということです。今をいただいた時、はじめて未来がきまる。この身このままをいただく。人生を充実しなくてはとか、人生に意味を持たせようとかというのは、今を受け取ってない証拠だと思うのです。充実は往生にしかない。「たい・たら・ぶり」を教えられていく、気づかされていくということが、聞法(もんぽう ※)の場にちゃんとあるのです。

 と書かれていた。理想や期待、欺瞞は「往生の妨げ」になるらしい。「往生とは今を生きること」であり、「たい・たら・ぶり」は「今を生きることの妨げ」になるらしい。

・往生とは今を生きることなのか?

往生とは「今を生きること」なのだろうか。往生することが現世において定まることが重要なのであり、決して「今を生きること」が往生を指すものであるとは思えない。「この身このままをいただく」ことができずに、いただけない自分を抱えた自分自身がそれでも往生が定まっているということが重要なのではないだろうか。

・人間の意志が往生の妨げになるのだろうか?

確かに悟りの境地を目指すならば、人間の邪な意志や理想はその妨げになるかもしれない。しかし、それは浄土真宗における「往生の妨げ」だろうか?そんな意識を持ちながらも念仏すれば往生が定まるというのが親鸞の教えであり、それは「念仏者は無碍の一道なり」という歎異抄の言葉が示すところのものでもある。神や魔界さえも妨げにならないのだから、「たい・たら・ぶり」が往生のさまたげになるわけがない。

教えから念仏が抜け落ちてしまうと人間の意識に問題が集中してしまう。念仏の超越性を欠けばそれは浄土真宗でもなければ、浄土門でもない。それは人間が自分の意志によって自らを克服するような宗教なき人間中心的な世界観でしかないのである。

これは自己啓発となんらかわりがない。振り返って考えると、お念仏の教えを話してくれる法話はそこまで多くないように思われる。自覚という「意識」、問いという「意識」…どこまでも人間の意識でどうにかしようとする話ばかりである。「どうにもならない」から念仏が絶対的に必要なのではないのだろうか。

・以下、余談

真宗会館のこの法話の全文を読もうとしたら、「ログインして続きを読む」と書かれていた。なぜ会員にならなければ読めないのだろうか?開かれた空間として聞法の場があるのならばこんな登録など必要ないはずだが…??

仏像は売ってはいけないのか?:『ともしび』3月号「法宝物」上場顕雄

『ともしび』3月号の「聞」には教学研究所嘱託職員の上場顕雄という方の文章が掲載されていた。趣旨は、本尊や名号といったものは骨董品ではなく「法宝物」、教えや法を伴うものであり、それは売買してはならないというものであった。私自身は別に売ってもいいと思っている。

本尊を売るということ 

上場によると本尊は骨董品ではないという観点から売ってはならないそうだ。

本堂内陣で長い間、荘厳され給仕されてきた掛軸などは、延べ何千人、何万人の門徒・参詣者が掌を合わせ崇敬してきた歴史や重みがある。単なる古い品物ではない。 

確かにその通りだ。仏像や掛軸は単に古い品物ではない。ずっと相続されてきたものであり、それは古さに値打ちがつけられるものではなかろう。しかし以下からの主張には同意し難いものがある。

それらの荘厳と共に寺院生活をしてきた寺族が品物として処分する心境はいかがなものであろうか。 それ以前に真宗人として、宗祖の門徒として「法宝物」に給仕してきたことが何であったかが問われよう。

果たしてここまで断言できるだろうか。「荘厳を売らなければならない状況」というものは殆ど想像を絶するもののように思われる。それが金目的で卑しいものであったとして、仏具を売らなければならないほど困窮する状況が存在するのである。これを書いた上場という人も「やむをえない事情があったであろうと推測する」と述べているが、そのように推測しながらも売ってはならないと断言しているが、心のない言葉のように聞こえる。

売ってはならない仏像を何らかの形で処分するには? 

売ってはならないのならば、本尊等は本山(東本願寺)に返却(?)しなければならないのだろうか?上場氏は「返却すべき」と記している。

真宗寺院所蔵のそれらは、廃寺になる場合には本山に返却するのが本来であろう。 

はたしてそうだろうか。本山に返却したところで本当に丁重に扱われるのかどうかは不明である。おそらく倉庫かどこかにおいやられるような気がする。そう考えると、あまり仏具や掛軸にとってはいい待遇であるようには思われない。しかも、親鸞自身は「売ってはならない」とか「しかるべき場所に戻せ」とか、そんな風には思っていなかったということが口伝鈔にもちゃんと書かれている。口伝鈔にはこう書かれていた。

弟子同行をあらそい、本尊聖教をうばいとること、しかるべからざるよしの事。常陸の国新堤の信楽坊、聖人親鸞の御前にて、法文の義理ゆえに、おおせをもちいもうさざるによりて、突鼻にあずかりて、本国に下向のきざみ、御弟子蓮位房もうされていわく、「信楽房の御門弟の儀をはなれて、下国のうえは、あずけわたさるるところの本尊をめしかえさるべくやそうろうらん」と。「なかんずくに、釈親鸞と外題のしたにあそばされたる聖教おおし。御門下をはなれたてまつるうえは、さだめて仰崇の儀なからんか」と云々 聖人のおおせにいわく、「本尊・聖教をとりかえすこと、はなはだ、しかるべからざることなり。そのゆえは、親鸞は弟子一人ももたず、なにごとをおしえて弟子というべきぞや。みな如来の御弟子なれば、みなともに同行なり。念仏往生の信心をうることは、釈迦・弥陀二尊の御方便として発起すと、みえたれば、まったく親鸞が、さずけたるにあらず。当世たがいに違逆のとき、本尊・聖教をとりかえし、つくるところの房号をとりかえし、信心をとりかえすなんどということ、国中に繁昌と云々 返す返すしかるべからず。本尊・聖教は、衆生利益の方便なれば、親鸞がむつびをすてて、他の門室にいるというとも、わたくしに自専すべからず。如来の教法は、総じて流通物なればなり。しかるに、親鸞が名字ののりたるを、法師にくければ袈裟さえの風情に、いといおもうによりて、たとい、かの聖教を山野にすつ、というとも、そのところの有情群類、かの聖教にすくわれて、ことごとくその益をうべし。しからば衆生利益の本懐、そのとき満足すべし。凡夫の執するところの財宝のごとくに、とりかえすという義、あるべからざるなり。よくよくこころうべし」とおおせありき。

本尊は流通物であり、たとえ山野に捨てても、その場所の有情たちがそれに救われるのだから良いと書かれているし、親鸞自身すら「自分が授けたわけではないから、取り返す必要はない」といっている本尊なのだから、ましてや東本願寺が取り返さないといけないという謂れは全くない。

第一、売買がだめなら東本願寺こそ定価で本尊を売るべきではないのでは?

東本願寺が無償で寺院に配布したのならば、百歩譲って本山に本尊を返却すべきだと言えるかもしれないが、しっかりと金銭で取引したものを「本来は本山に返すべきだ」というのはいただけない。

第一お金のやり取りで骨董品や商品のように仏像や名号をやり取りすることを禁止すべきならば、本山こそ定価で仏像や名号を売ることをやめて懇志にすべきであると思う。オークションや金銭の取引で仏像が広まれば、それはそれで流通し、いいではないかと思うし、そのような経緯で手に入れた仏像をとても大事にしている人を私はたくさん知っているので、それが悪いこととは全く思わない。本山で適当にどこかに押しやられるよりは、どんなかたちであれ人の世で出回っている方が断然いいと思う。

記事の最後にはこのように書かれていた。

残念で嘆かわしいことである。あらためて、真宗の教えに依拠した生活・日常を考えたいものである 

 と書いてこの記事は終わっているが、上で書いたような理由から「真宗の教えに依拠する」ならば仏像を売ることが悪いこととは言えないと私は思う。本尊は骨董品ではない、ということは間違いではないが、考えもなしに安易に主張することで東本願寺真宗から遠ざかっている。過去に平野修についての記事について書いたが、それも同じであろう。

shinshu-critique.hatenablog.com

「いのち」は親鸞の言葉なのか?:「サンガ」vol.152(狐野秀存「回向のいのち」)

真宗会館で手に取った「サンガ」にはまたしても意味不明なことが書かれていた。狐野秀存という大谷専修学院院長の書いた記事である。

仏教は、特に親鸞が明らかにした浄土真宗の仏教は「いのちの宗教」だといえる。 

 と書かれていた。それが根拠としているのは一体何なのだろうか?無量寿の「寿」を「いのち」と読み換えるのが常習化しているのが大谷派であるが、その読み方はほとんど無理がある。

いのちは親鸞の言葉でいえば、「回向のいのち」である。 

?????出典は??????そんなことどこにも書かれていない。

 いのちは、いのちそれ自身からのプレゼントだということだろう。

いのちはいただいたものであるらしい。「生かされている」ということだろうか。一体誰に?それは仏だろうか?では、いのちが終わるときはどうなのだろうか?死なされたのだろうか。ここでの言い逃れの道筋は予想できる。 死とは「いのち」の終わりではなく、「いのち」とはもっと広いものを対象とした言葉であって、死は「いのち」の終わりを意味していない、と言うのだろう。でも「いのちを大切に」という言葉はどう考えても生命を指すものとしか考えられないし、それ以外のものを指すのなら「いのち」と言わずに「念仏」や「教え」、「本願」と言えばいい。

ロマン主義から派生した大正生命主義を自覚ないまま、大谷派は継承し続けている。それでもいいではないか、という者もいるかもしれない。最もその思想が抱える問題を知らない者だけがそう言うことができるのだが。

「いのちを大切に」できなかったものはどうなるのだろうか。人殺しは?自殺者は?屠殺の仕事をする者は?戦場で戦った者は?「いのちっていうのはそう言う意味ではない」と言う人がいるが、注釈をつけなければならないような言葉をスローガンのように使うのはいかがなものだろうか。

この「いのちは誰のものか」といういのちの原点があいまいなままで、「いのちを大切に」と無造作に言ってしまえば、それは強者の押し付けになってしまう。 

 「いのちの原点」が存在するのだろうか?生は迷いの果てであるというのが仏教の基本的な姿勢であるはずなのだが、この「いのちの原点」を強調するのは一体何なのだろうか?それは崇高で素晴らしいものなのだろうか?「いのちの原点」が明らかになったとされたら、それは全体主義へ急降下する。ナチズムにおいてはそれはゲルマン民族であり、戦前戦中の日本では天皇だった。

いのちの原点があるなら、それは仏教としては無明と答えるべきではないだろうか?


専修学院院長だそうだが、彼が語っているのは仏教なのだろうか?

「先生」という隠語としての延塚知道:2018年度『お彼岸』冊子(「出遇い」寺林彰則)

久しぶりにブログを書いてみよう!今回は『お彼岸』冊子を読んでみることにします。こういう冊子がくると、ほんとうに批評しがいがありますし、内容がよければ注文して門徒さんたちにも配りたいなあと常々思っています。でも、今回はあんまりよくなかったなあ....。

春彼岸の季節になると、決まって先生との出遇いを思い出します。何年経っても忘れることができません。「君は、周りに人がいても楽しくないのだろう。一人でも生きていることが楽しくも嬉しくもないのだろう。それは親鸞聖人の仏教でなければ絶対に治らない病気だ」。私の闇を照らし出す言葉でした。 

と書かれていました。書いたのは寺林彰則という人だそうだが、この人の文章自体を考察する前にこの「先生」について考えてみます。「先生」とは書いているけれど、この「先生」の名前は終始明かされることがない。しかし以下のように書かれている。

 後にそれが仏教との出遇いであることを先生は、松原祐善先生との出遇いをとおして教えてくださいました。先生ご自身は松原先生から「善いところも悪いところも丸ごとあんた自身じゃないかね。どうして丸ごとの自分を愛せない者が、周りの人を愛することができますか」と声を掛けられたことが決定的だったと語ります。

松原祐善とのこの対話を何度も繰り返しているのは、この宗派にはひとりしかいないんじゃないでしょうか。もちろん、延塚知道です。なぜ「先生」とだけ書いて延塚知道の名前を出さないのか疑問ですね。この冊子に書かれている文章そのものが、宗門の人間であれば誰でもわかる隠語で構成されています。このように隠語を使う必要性は?意図は?意味は?考えれば考えるほど不気味であるし、そのことに気を取られて文章を読む気さえ起こらない。でも、まあ推測できるのは、延塚先生は生きている人だから名前を出さないことにしたのでしょうか。でも、この話自体が宗門内では周知の話なのだから、そのような懸念があるならばこの話をそもそも載せない方がいいような気がしてきます。

でもでも、まだ少し物足りないので延塚知道(松原祐善)のことばを少し批判してみよう。

丸ごとの自分を愛せない者が、周りの人を愛することができますか 

これはいったいどういうことだろうか。自己愛と博愛が仏教のテーマなのだろうか。自分を愛し、人を愛さなければ人は救われないのだろうか。自分も愛せず、人も愛せない者にこそ仏が救いを与えてくれるのではないだろうか。

周りに人がいても楽しめないことは病ではないし、一人でいることを嬉しいと思えないことも問題にはならない。そう「問題にはならない」と言ってくれるのが親鸞聖人の仏教なのではないだろうか。周りの人を愛することができる人が必ずしも自分自身を愛しているわけではない。自分を愛せなくても人を愛することは可能だし、愛はそもそも煩悩であるというのにそれを積極的なものとして語ることはいかがなものだろうか。

ポンプ小屋の話も、松原祐善の話も、その話の評価云々は保留するとして、その話をするのは延塚知道一代で十分だと思います(この時代に一浪して京都の私立大学に通ってる時点で同年代の人たちより裕福なはずですが「貧乏で」「苦労して」死にたかったそう・・・立派なご苦労をなさっている方です)。そして、若者は自分が経験したことをもっと突き詰めて考えるべきではないでしょうか。先生との出会いの話を語る場で、先生が語っていた先生の先生との話をそのまま転用するのは本当にいただけない。自我が破られるような、私自身が問われるような経験が大事と本山ではしきりに言われているが、この寺林さんという執筆者は専修学院の指導補であったのなら、もっと自分自身の話をするべきです。

でも、このようなことが起こってしまう雰囲気が大谷派には蔓延しているんでしょうね。それは「師と出遇う」というスローガンを掲げ、偏っていることに起因していて、とりあえず師匠のエピソードがあればいいやみたいな雰囲気があるんですよね。先生、先生、私の師匠は誰々で、っていう構造って危険ではないですか?「私の先生は〇〇です」って言ってる人は皆んな何故か偉そうだし、宗門で少なからず有名な人の名前しか出さないところが気にくわない。