What is Buddhism? What is Shinshu?

真宗大谷派関連のテキストや配布物に関して批評するブログ。愚痴も入ってますが、ひとつの意見としてみていただけたらと思います。

楠信生、なぜ教学研究所の所長に?

ブログを開設しました、そのわけは…

この度、真宗大谷派を批判的に考えるブログを開設しました。私は大谷派の僧侶ですが、改めて自分の属する宗派のことを考えてみたいと思っています。親鸞聖人の書いたものは勉強のために少しずつ読んでいますが、いままで宗門が発信するものには無関心でした。なんとなくそれらを読み始めたなかでいろんな疑問が湧いてきました。「宗門の言っていることは正しいのか?」という疑問が湧いても、質問をしても、宗門の研修会の講師やスタッフが答えてくれる気配があまりしないので、こうやってブログを始めてみます。

楠信生という人が我が宗門にある研究所の所長なのかあ

www.chugainippoh.co.jp

真宗の教学を研究する機関にこのような人材が所長として迎えられたことに驚きました。この楠という方をよく大谷派からの配布物に文章を書いているのを見かけるのですが、特に知的なことを書いている印象がないからです。よくある真宗的なテクニカルタームである「問い」や「出遇い」を乱発しているなあという感じしかなかったので...。こういう研究所には大谷大学の先生がいると勝手に勘違いしてました。

別に大谷大学でなくてもいいし、大学に所属する研究者じゃなくても全然いいのですが、教学の研究機関ならちゃんと地道に研究してきた人間を取り上げて欲しいと思うのは私だけでしょうか。論文のひとつもまともに書いてきていない人を「所長」とするのは....どうなのでしょうか。本山のいう「教学」も「研究」も、こんな人物を中心にするくらいならその程度のことなのでしょうか。

学問すら超越した境地、というものがあればそれは自ずと伝わってくるものがあるんですが、あまりそういったものも感じられませんね、残念ながら。

今に始まったことではないけど、大谷派って変に反知性主義な感じがするんですよね。東大とか京大とか、大企業とか有名人とか、そういうブランドは大好きなくせに質的なものの向上は別にどうでもいいというか、ブランドがあれば質もあがるだろうみたいな甘い考え方持っているように思えますね。

研究所なら大谷大学の優秀な研究者を登用すべきだろうし(いるのなら)、ただ研修会の講師を務めてきただけの人間を「所長」として採用するのは誤りでしかない。「大学の研究所とは違う」と言った発言も見受けられるが、そんな悠長なことを言っているから本願寺派からいつも遅れをとっているのではないだろうか。経典の現代語訳にしろ、大谷派には揃ってないもの多すぎじゃありません?大学まで作ってるのに....何かピントがずれていますね。

宗門関係の研修会はあまり知的なものとは言えないものが多いし、言うならば随想的なものが多く、内容の学問的な真偽は定かではないものが大半。そして、その正しさを吟味する者がいないのでほとんど無法地帯になっている。

しかも近年では中島岳志などの専門外の流行りの学者を異常に取り上げて、一体本山は何がしたいんだろうか。清沢満之の研究よりもましだと思うけど、「親鸞の研究者です!」っていう人を育てて、私たちに知識をどうか与えて欲しいと願います。

 

 

追記:さらに批判記事を書きました。 

shinshu-critique.hatenablog.com