What is Buddhisme? What is Shinshu?

真宗大谷派関連のテキストや配布物に関してコメントするブログ。僧籍を持ったサラリーマンです。

ブログへのコメントをいただきました

当ブログに初めてコメントが届きました。以下の通りです。

はじめまして。 たまたま通りがかった者です。 ブログを拝見させて頂きました。 批判的に物事を見ていくということは大変大切なことだと思いますが、世界中の人が自由に見ることができるインターネットの中で、特定の人物の名前を出して批判をするということにはそれなりの責任がともなうと思います。 同じ門徒の立場におられる方であるならば、たとえば貴殿のお名前を公開するなどの配慮は必要なのではないでしょうか。 その点に関しましてはどのようにお考えでしょうか。

以上のコメントが当ブログに届きました。これは大変喜ばしいことであり、このような内容は当然開設当初から予想されていたものでした。今やgoogleやyahooでも「楠信生」と検索すれば1ページ目にこのブログの記事が表示されるようになっており、このブログがなんらかの影響や反応を引き起こすことを期待していたので、どう考えても「宗門に関わりのある人物」からのコメントが寄せられたということはこのブログの目的が一つ達成されたということを示しています。

そこで、このコメントに対してこちらも応答しようと思います。

 

・第一の問題は、インターネット上での個人への批判と匿名性の問題です。

コメントでは「世界中の人が自由に見ることができるインターネットの中で、特定の人物の名前を出して批判をするということにはそれなりの責任がともなうと思います」と書かれています。しかし、このような論理は当ブログにおいては的外れであると思います。「特定の人」とは言いながら、その「特定の人」とは単なる特定の人物ではありません。

彼らは大谷派の出版物に自らの名前で文章を掲載している「公的な人間」です。私は別に、自分の知り合いや隣人といった自分自身と私的な関係をもった「私的な人間」についての批判を名指しで行なっているのではなく、出版物に自らの考えを述べている「公的な人間」に対して名指しの批判を行なっているに過ぎず、私個人は一読者であり、自ら責任を負って名前を公表する必要はないと考えています。

たとえば仮に、そのような「私」が名前を公表して批判的な活動をしたとしても、ある特定の名前のもとで「私」という個人が排除されるだけです。このブログが匿名性を維持しているのは、宗門がそれだけ「批判」というものに不真面目で非寛容だからです。そのような結果がすでに目に見えているのに、自らを名前を明かす者は誰もいないと思います。

 

・第二の問題は、「批判」そのものについての問題です。

宗門内で原稿の執筆以来があった場合このくらいの批判は覚悟すべきだというのが私の意見です。宗門内では常に「聞くことが大事」と散々言ってきているわけなので、このくらいの批判を聞かないでどうするのでしょうか。

 

・第三の問題は、当ブログに対する内容についてではなく形式についてしか触れていない点についてです。

私はもっと実りのある議論をしたいのです。匿名性だの責任だの、そういうことを議論するのではなく、何か疑問があるのならば「内容」について問うていただきたい。これが最も重要な点です。もし違う意見があるのならば、それを言っていただきたい。「匿名での批判はだめだ」とかだけを言っていると、大谷派(それに属する僧侶)はどんどん批判を受ける機会を無くしてしまうのではないでしょうか。

 

・第四の問題は、コメント自体がとても匿名的であること。

「通りがかった者」としか書いてないのですが、どう考えても宗門に関わりのある人物としか思えません。私から見ればどう考えても関わりのある人物ですが、関わりがあるのかないのか、それくらい明示していただけたらなと思います。(できれば、「匿名性」を否定する以上はお名前を頂戴したい)