What is Buddhism? What is Shinshu?

真宗大谷派関連のテキストや配布物に関して批評するブログ。愚痴も入ってますが、ひとつの意見としてみていただけたらと思います。

大谷派におけるジェンダートラブルについて〜「女性室」の無意味さ〜

今日は「ジェンダー」の問題について考えてみたいと思います。#Metooや政治家のセクハラ問題など敢えていうまでもなく社会の中で性差別は重大な問題なのですが、現在でもなかなか性差別の問題が是正されていないのが大谷派です。大谷派で女性の得度や住職就任が認められたのは、戦中期の男性不在の状況を補うためであり、女性の権利向上を目指した運動によるものではない。しかし、その後社会から遅れをとりながらも1996年には限定的な条件が撤廃された上での女性の住職就任が認められたことに対してはそこそこの評価が与えられるべきだと思っています。

「セクハラちゃん」...???

ジェンダー問題に関して、一応本山には「女性室」なる部署が置かれています。その趣旨は以下のとおり。

女性の宗門活動推進を取り組むために、1996年7月宗務所織部に設置された機関です。その後、2005年7月より所轄部門が組織部から解放運動推進本部に移行しました。
女性室は、めざすべき教団像として「男女両性で形づくる教団」を表明しています。女性であれ男性であれ、「女である」「男である」ことの苦悩から解放され続けながら、人間という、関係を生きる存在として、お互いを「同朋」として見いだしていける関係を生きたいという願いのもと活動しています。 

 「女である」「男である」ことの苦悩から解放される、とあるのに「女性室」という限定的な名称が用いられていることには敢えて突っ込みませんが、どうやら「男女両性で形づくる教団」、お互いを平等な関係として生きる組織を目指すために設置されているようであります。素晴らしいことです。

男女共生のための啓蒙活動を行なっているみたいなのですが、私はこの「負けるな!!セクハラちゃん」っていう動画はどうかと思うんですよね。

youtu.be

私はセクハラはほとんど犯罪だと思っていますし、男女差別に対しては真剣に向き合ってもらいたい、いや男女差別に限らず異性愛主義や人種差別や障害者差別に対してもそう思っています。この動画はライトな啓蒙活動を行なっていますが、事の重大さを認識できていないのかな?という感じがします。もっと重大な問題として扱わないと、セクハラが罪であるという意識は形成されないと私は思います。性差別を「街で困ってる人を見かけたら助けよう」とかそういうレベルで啓蒙するのは、時代遅れもいいところ。

大谷派内でセクハラ被害にあったらどうしたらいい?

同朋会館とかってけっこうセクハラが多いみたいなんですが、こういう相談ってこの女性室にしたらいいんでしょうか?それとももう外部の団体に訴えた方がいいんでしょうかね。去年くらいに問題になった補導の人への給与未払い問題とかも外部のunionに訴えてやっと問題化されたって感じなので、たぶんとりあってもらえません。「同朋」っていつもいってるのにせめて形だけでも相談窓口つくってくれたらいいのに。「解放運動推進本部」とか言っちゃってるけど、どうなんだろう。

数年前から男性坊守が認められるようになりましたが、本来ならば坊守そのものの権利を向上させるべきだと思います。寺院にとって重要な役割を担っているのに選挙権も与えられていないし、なんだかなあって感じです。「女性室」がんばってください!聖教のなかの女性差別的な表現について勉強するよりも(それも大事だけど)、いまの組織の中にある現実の現在進行形でおこっている差別について目を向けてくれ。

「男らしさ」「女らしさ」の押し付けがすべての差別の原因なのか

「男らしさ」や「女らしさ」からの解放だけが、差別の解消につながるのかなあ。男らしさと女らしさの解放に続くのは「人間らしさ」の押し付けじゃないのだろうか。それか「真宗人らしさ」の押し付け。仏像売買の件で先日書いた記事でもそうだったけど、「真宗人として」みたいなものを安易に押し付ける風潮って宗門内で溢れてて、しかもその内容が間違ってたりします。

坊守は有教師よりも下なのか?

例えば「女だからって家事掃除洗濯家事子育てをするのはおかしい」と思っている坊守が教師資格をとる場合、確かにその主張や行動は正しいと思います。でも、私はそこには「坊守」を下に見ている雰囲気も少し感じます。坊守業が劣っているから女は坊守に限定されずにもっと向上できるという図式になってしまうのはどうなのかなと思います。

性別で住職坊守が決められるのがおかしいというのと同じくらい、住職坊守に優劣をつけることもおかしいことなのです。宗門内でジェンダーを語るのなら、それが単に性別だけに関わる問題ではなく、「住職」「坊守」そのものも同時に問題にすべきなのです。

 

追伸:

いつも思うんだけど、行者宿報偈を持ち出す法話とか研修会ってほんと気持ち悪いなあ。ちゃんと吟味して話題にしないと、単なる男の性欲肯定論にしか聞こえないんだが...中年過ぎた男がこれについて話してるとゾッとしちゃう(これって差別ですね)。