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真宗大谷派の思想を批判するブログ。批判とは、否定ではなく「なぜそのような考え方をするのか」「なぜそれが正しいのか間違っているのか」を論じること。

「人のこと言う前に自分はどうなんだ」という典型的なダメ思想:武田未来雄「経教の鏡」(「ともしび」10月号)

 先日読んだともしびに書かれていた武田未来雄という方の記事に違和感があったので久しぶりに記事を書いてみたい。

 そして、批評のまえに少し準備体操として別の話題を振っておきたいのだが、当ブログにはたまに「貴方は親鸞会ですか?」という質問が届く。(自称しても仕方ないのだが)私は親鸞会の者ではない。親鸞会の人のブログとかって明らかに字面に違和感があるというか、第一人が書いたものに対して一々内容に照らし合わせながら批判するみたいなスタイルは取ってない気がするので明らかに違うし...。

 しかし「お前は親鸞会か?」とかいうことは私にとってはどっちでもいいこと。「お前は誰だ?」「お前は何者だ?」という質問よりも内容についての具体的な批判の方が大事だから。これだけ批判していても私の批判内容に即した疑問に正面から答えるものは全くないのだが(アクセス解析を見る限りどう考えても応答があっていい感じなのですが)、まあそれは私の過剰になった自意識の上の話なのでどうでもいいこと。問題にしたいのは「自分を知る」という教えについて。

  • 「自分を知る」ことは「必要」なことなのか

 武田氏が書いていたのは「インターネットにおける中傷問題」についてであるように思えた。

確かに多様な媒体機能によって、自己の意見や考え、感動したことを直ちに発信し、他者と共有のできる場が多く開かれるようになった。しかし、同時にそうした発信された情報によって、深く傷つけられたり、排除されたりと、苦悩を抱えることもある。自己表現の場が広がる一方で、同時にその発信している自分とは何か、自己自身について見つめていくことも大切ではないだろうか。 

 インターネットの普及によって様々な人たちとの交流が可能となったが、その反面言葉による中傷も増え、解決の糸口は現在も見えてこない。自己表現をしていても、自分を見つめていくことを欠いているのではないかというのが、武田の問題提起である。さらに中傷は一定の“基準”によって行われており、その価値判断そのものが偏っていることも少なくないのだが、その価値基準そのものを問い、自分自身を見つめなおさなければならないと武田は述べている。

 確かに言っていることは立派なのだが、この武田という人自身も媒体によって自分の意見を発信している張本人である。彼自身にどのような自己省察があるのかを是非教えていただきたい。

様々な媒体を使って自分の意見や感想を表現し、お互いにその情報のやり取りをしていくことは、とても大切なことである。しかし、同時にその自分とは何ものなのか、どのような見地から見ているのか、自分自身を省みることが必要であろう。現代は、外に発信する技術は発展させるが、なかなか内なる自分を正しく見る手立てが少ない。ますます「経教の鏡」は必要なのである。 

 社説のようなものならこれでいいかもしれないが、この人にとっての「経教の鏡」とは一体なんだろうか。

これら四大煩悩について、曽我量深氏は、真宗仏道においても、自力我執を考えていく上での大切な教えとされていた。氏は、煩悩を捨て去ることは出来ないが、どれだけ自分たちは我執我見にとらわれているかを自覚懺悔し、そういう自分の現実を常に見ていく必要があると言われる。 

 そういう「必要」があると強調しているのだが、「何にとって」必要があるのだろうか。社会、国家、共同体、個人、宗門なのだろうか。「必要がある」という言い方は、それがあたかも必須条件のようなものにしている気がする。「教えが必要である」と語るその内容には親鸞の教えがないように思われる。この方にとって懺悔が「必要」なことなのなら、それを因として救われればいいのだが、それは仏の本願力を因とするものではない。懺悔がありうるとするならばそれは「必要」などではなく、「ふと沸き起こった」ものではないのか。お念仏は、一体どこにいったのか。私はお念仏がしたい。お念仏ができる宗門でなければ意味がない。

 もう何度も言ったことだが「他人を批判する前に自分を見つめ直せ」っていうのは、こちらからすれば「そうやって人の他人を批判しているお前自身は自分をどう思ってるんだ」っていう気持ちにしかならない。「人のことを言う前に自分のことを考えろ」とのたまう奴らはいつも自分自身が問われることのない安全地帯に身を置いている。そうやって偉そうに人に言っている自分自身のことを考えた言葉を語るべきである。「懺悔する必要がある」なんて言うことを人に言える人間って、一体どんな立場にいるんだろうかと思ってしまう。そうやって言えるこの武田とか言う人の現実がむしろ知りたい。

 もはや対話不可能な状況が作り出されている。回り道したが、これが一番言いたかったこと。その「人のことを言う前に自分はどうなんだ」っていう姿勢って批判されても応答せずに逃げてるし、問いを大切にした生き方とは思えない。 これは典型的なダメ思想だし、こんなこと言ってたらどんな組織も崩壊するだろうな。

 合掌