What is Shinshu?

真宗大谷派の思想を批判するブログ。批判とは、否定ではなく「なぜそのような考え方をするのか」「なぜそれが正しいのか間違っているのか」を論じること。

2019-01-01から1年間の記事一覧

ナショナリズムの克服を門徒に押し付けるのか:「ともしび」2019年11月号楠信生の「一大事の御客人」を読んで

「御門徒に育てられる」 楠信生という方の書いた「一大事の御客人」という文章にあった門徒観に少し違和感があったので少し考えてみることにした。氏は「御門徒」について以下のように述べている。 「御門徒」という言葉にはいろいろな響きがあります。 かつ…

佐野明弘氏の「衆生減尽」における差別性

「やまゆり園事件」以降、法話で障がい者差別について語る僧侶が増えてきた。しかし、機会が増えてきたとはいえ語るにあたっての思慮や考察があまり十分ではないと思ってしまうことがほとんどでがっかりしてしまうことが多い。今回は2019年9月号『ともしび』…

孤野秀存の母親に対する幻想

2020年版の教化冊子『真宗の生活』が届いたので少し読んでみたが、最初の孤野秀存という大谷専修学院長の言葉だけがあまりよくなかった。母親と阿弥陀如来を同一視するハラスメントがまたもや展開されていた。どうやらこの専修学院、私とは宗教宗派が違うよ…

自己反省に歯止めをかけてくれ

『真宗』2019年5月号を読ませていただいた。そのなかの「悪しきこころをさかしくかえりみず」というコラムがとてもよかった。気がついたら書いた方は中山善雄という研究員で、当ブログで「これはよかった」という記事で紹介したのもこの方が書いた文章であっ…

「問う」とは「それを問題とみなす」という意味なのだが

『真宗』2019年4月号に「それぞれの往生際」というコラムがあった。 人は様々な死の迎え方をしてきた。『往生際の日本史ー人はいかに死を迎えてきたのか』(小山聡子、春秋社、2019年)には、現代にまで影響を与え続けている「末法」という仏教的な歴史観を…

母性と仏について:『花すみれ』を読んで思うこと

ジェンダー問題にも積極的に取り組みたい姿勢を見せる本山だが、それがただのパフォーマンスなのかどうかは日頃の行いによって判断される。その上で言わせてもらえば、未だに本山はジェンダーに関するリテラシーを著しく欠いている。まだ発展途上なのかもし…

凡夫と自己責任

先日届いた彼岸用の冊子を読んでいると、少し気になることが浮上した。凡夫であることの自覚と自己責任は同じなのかという問題である。現代では冷徹な自己責任論が幅を利かせ、当然他方でそれに反対する言説も多く生まれている。自覚と自己責任が同一である…