What is Shinshu?

真宗大谷派の思想を批判するブログ。批判とは、否定ではなく「なぜそのような考え方をするのか」「なぜそれが正しいのか間違っているのか」を論じること。

自己反省に歯止めをかけてくれ

真宗』2019年5月号を読ませていただいた。そのなかの「悪しきこころをさかしくかえりみず」というコラムがとてもよかった。気がついたら書いた方は中山善雄という研究員で、当ブログで「これはよかった」という記事で紹介したのもこの方が書いた文章であった。こんな気味の悪い批評ブログで評価されてもこの方のご迷惑になるのではないかと心配しながら賞賛させていただく。

追い詰められることでイライラして大きな声をあげてしまい、その自分を「駄目な親」という思いで責めているのが、多くの母親の実情ではないだろうか。母親にこれ以上何かを要求すること、自己反省し責める方へと向けていくことからは、何も生まれない 

 本当にそうである。このコラムでは過剰な自己反省や厳罰化が人を苦しめることに気がつき、『唯信鈔文意』が「自力の心を捨てること」を「あしきこころをさかしくかえりみず」と解説している点に注目し、この文は自己反省・自己嫌悪の残酷さに気がついた感性から発せられることばなのではないかと述べている。(ちょうどこのコラムの横には別の方が書いた文章があり「穢身の自覚」が重要であると形式的に書かれていたが、まるで対照的であった)

 過剰な自己反省の対極には「そのままの自分を受け入れなさい」という不可能なマゾヒズムが待っていると思っていたが、このコラムはその最悪な二極から抜け出させてくれるような、「あしきこころをさかしくかえりみず」という親鸞の良バランスかつ現実的な思想を示してくれている。「問い続けること」、「自己を見つめること」の過剰さが人を追い詰めてしまうことを自分以外のどこかの僧侶が知っているということがわかって、とても救われたような気がした。