What is Shinshu?

真宗大谷派の思想を批判するブログ。批判とは、否定ではなく「なぜそのような考え方をするのか」「なぜそれが正しいのか間違っているのか」を論じること。

岸見一郎を持ち上げて何か意味はあるのだろうか?:「親鸞仏教センター通信」63号

 「現代と親鸞の研究会」の欄に、哲学者・岸見一郎の話が載っていた。岸見一郎は、ギリシア哲学の専門ではあるが、最近ではアドラー心理学を一般に広めた学者として有名になった人物である。この学者を起用した研究会の様子が「親鸞仏教センター通信」に掲載されていた。しかし、私はこのひとの言うことには疑問があるし、親鸞を関係付けることはもってのほかだと思っている。

 この研究会のまとめとして、このように書かれていた。

 結論的な話でいうと、対人関係の中でしか人は幸福になれないのです。アドラーは、あらゆる悩みは対人関係の悩みであるという言い方をしています。対人関係のなかで傷つくことを畏れる人はいます。ところが、対人関係は幸福の源泉でもあるのです。

対人関係に入っていくには、自分に価値があると思えなければなりません。

対人関係が人間に幸福を与え、さらにはそこには自分に価値があると思わなければならないという。この対人関係を重きに置く風潮はなんなのだろうか。真宗でも「サンガ」を連呼し、和合した共同体をやたら強調する。それは宗教におけるセクト性を高める効果を発揮するものでしかなく、親鸞における仏教とは関係があるとはあまり思えない。

対人関係のなかで生じる幸福は存在するが、それが幸福のすべてだろうか。群集のなかでいかにうまくやっていても生じる虚しさはどうなるのだろうか。そこをすくい取ってくれるのが念仏なのではないのだろうか。対人関係がどうあろうと念仏して救われるのが真宗なのではないのか。一人寂しいときに口から出る念仏が本当の念仏なのではないだろうか。

しかも大谷派は同朋社会の実現をまったくはかっていない。高級喫茶店を入れた親鸞交流館、ホームレスを放逐した境内、伝統を言い訳に支払われない給料、これらは果たして「同朋」社会と言えるのだろうか。