What is Shinshu?

真宗大谷派の思想を批判するブログ。批判とは、否定ではなく「なぜそのような考え方をするのか」「なぜそれが正しいのか間違っているのか」を論じること。

大谷派の「寺院活性化」へ物申す

先日しんらん交流館から頂いたたより(2018年3月31日発行)には「寺院活性化支援室」なるものの紹介がされていました。過疎や人口減少に伴う寺院の斜陽が問題となっている昨今ですが(そもそも寺院や僧侶を不要とする社会の流れの元凶を「過疎」「人口減少」に限定してる時点で世の中を見る目がない)、その問題に取り組むために大谷派では「寺院活性化支援室」が設置されているらしいのです。

そこが何をやってくれるのかというと「過疎地域の寺院を対象に講師派遣を通じて教化活動を支援!」と書かれているではないですか。

「お寺でお役立ち講師派遣」では、過疎地域の寺院への教化活動支援として、寺院の要望に応じた専門知識や技術をもつ講師を派遣します。派遣にあたり、寺院の現状を把握するため、住職・寺族をはじめ、ご門徒との事前打ち合わせを充分に行います。現在、京都教区出雲組と長崎県五島列島にある寺院で講師派遣に向けた準備を進めています。

つまり、寺院を活性化させるために、専門知識や技術を持った講師が本山から派遣され、その派遣の前に状況把握のために打ち合わせを行う必要があるらしいのです。しかしそのレポート(http://jodo-shinshu.info/category/ganbaru_entry/temple-katudou/)を読む限りでは具体的な講師派遣はいまだ実現されていない模様。現状では、「事前打ち合わせ」だけが行われているみたいですね。寺院とご門徒の橋渡し的な感じで、いろんな要望やアイディアの出し合いみたいなのがこの「打ち合わせ」で行われているようですが、「たんなるアイディア大会なのでは...?」という印象が拭えない感じですね。しかも、このレポートもなんだか旅行記のような。

門徒さん=総代さん?

まあ、話し合いもありかなーと思うけれど、こういう会に立ち会ってくれる門徒さんはだいたい親切で寺院に好意的な方がほとんどじゃないでしょうか。こんな話し合いをどれだけ重ねても現状の打開は私は無理だと思っています。お寺に来ない人の意見や、それを想像する力が最もいま寺院に必要とされているのではないのでしょうか。想像力がない、っていう人が取る選択肢は頭脳を磨くか滅びるかの二つですね(そういうことは成功してる人は教えてくれません、いまや潰し合いの世界なので)。

「元気なお寺セミナー」が流行っている中、みんな「総代さんと話し合いをした!」とか「門徒さんとともに」とかしきりに言っているけれども、それは「門徒さんたち」というか「一部の門徒さんたち」。仮に「総代さんたちがいいと言ったので、行事を増やして、門徒さんたちにも掃除や御斎の準備や兎に角いろいろ手伝ってもらうことになった」という決定が「話し合い」でなされたとして、「話し合い」の場に来るのは寺院に好意的な門徒さんたちばかりなのでお手伝いもしてくれるし、そういうことには賛成してくれるかもしれないけれど、そうではない門徒さんたちにとっては違う。勝手に決められた決定によって役割を与えられて、さらに寺に不信感が増すだけだと思います。

よくわからないけど「話し合い」をすればどうにかなる、とまだ寺院関係者は思っている。しかし、それではもう手遅れ。

「過疎」を解決してくれる専門的な知識って何だろ

この過疎地域の寺院活性化のための専門知識をもつ講師、というものに具体性を感じない。そんな超人どこにいるのだろうか、どうやって育てるのだろうか....。まあ、こういうことは実績をもって証明していただく他ないでしょうね。がんばってもらいたい。でもさ、この講師ってのもどういう出自なのか気になりますよね。本山経由でわざわざ派遣されて来るようなおそらく僧籍をもった人がくるんでしょうけど、そういう人って結局そういう行動が可能な状況にあるってことはその人自身日々のお勤めに空きがあるってことじゃないですか。忙しい寺で経験を積んでいる人はそういう講師になる暇はないし、結局そういう講師になるっていうこと自体その人自身が暇なお寺にいるっていうことなんじゃないのかなあと素人ながら感じてしまいました。正直にいうと、忙しくしてるお寺の人の振る舞いとか経営方針とかの方が気になるところだし、講師になるためのちょっとした研修を受けたみたいな人が来ても本気で悩んでるお寺の人は困ると思いますね。

元気なお寺、って何だ

たち戻って考えたいんですが「元気なお寺」ってなんなんでしょうかね。子ども会とか、催し物やってると活気あるお寺みたいに見えたりするけれど、本当のところどうなんでしょうか。そういうところも寺院関係者は冷静に判断すべきなんじゃないかなと思います。門徒じゃない人を集めて子ども会とか学習会みたいなことしても、実際に寺院を支えるための収入にはならなかったりするし、まあ効果はあるかもしれないけれど遠回りすぎる...。寺院活性化=人が集まる!って考えてるだけではたぶんダメですね。

しんらん交流館、って呼び捨てにしてんじゃねえよ

個人的に、このしんらん交流館という存在自体どうかと思うんですよね(名前自体「しんらん」と呼び捨てにすることにも違和感を感じるし、「真宗交流館」ではなぜいけないのだろうか)。もっと世の中の弱い人の役に立つようなことをしてもらいたい。「こども食堂」の開き方とかノウハウとか、それか宗門内のセクハラ・パワハラ相談窓口の案内とか(ちなみに解放運動推進本部は差別問題を取り扱う部門だそうですが、「宗門内」の差別問題には全く取り合ってくれません)、そういうことやってくれたら本当に助かるなあって思います。

ほんとうにコミュニケーションを大事にしているのなら

それこそ本山の方針とか教区のあり方とか、箱モノを作ることに関することとか、そういうことを本山が門徒さんたちと話し合うべきなんじゃあないんでしょうか。それに知らない間に「今までの金額だと維持できないので」っていう理由でいろんなものが宗門内で値上がりしている中、単に値上げするだけじゃなくていろいろ方策を考えろよって思いますね。ほんと、腹立たしいです。ホテルに泊まれる金額で同朋会館に泊まらせようなんて、人や門徒さんたちをバカにしているとしか思えません。

本山ってほんとに過疎化を解決してくれるの?

ちなみに西本願寺ではこういうのがあるらしいです。

http://www.hongwanji.or.jp/source/pdf/jiin-kinko_02.pdf

寺院復興金庫ですって。困ってる寺院に援助してくれるみたいです。上にあるのは貸付のリストですが、助成のリストもあるので、興味のある方は本願寺派のサイトにいけば見れます。それと無知なんで申し訳ないんですが、大谷派にはあるのかな?知ってる人教えてください!(ないなんてことはないと願いますが....)

念仏の不在が蔓延する大谷派…:「僧侶の法話」田中顕昭

先日、真宗会館の日曜礼拝の法話が紹介されていた。

kotonoha.shinshu-kaikan.jp

田中顕昭という方の法話だそうだが、この法話のキーワードは「“たい・たら・ぶり”は往生のさまたげになる」だそうだ。

「たい」は「ああしたい、こうしたい、ああなりたい、こうなりたい」。「たら」というのは「あの時こうだったら、あの時こうでなかったら」。「ぶり」は「判ったふりをして、つもりになって生活をしている」ということ。往生とは、今を生きるということです。今をいただいた時、はじめて未来がきまる。この身このままをいただく。人生を充実しなくてはとか、人生に意味を持たせようとかというのは、今を受け取ってない証拠だと思うのです。充実は往生にしかない。「たい・たら・ぶり」を教えられていく、気づかされていくということが、聞法(もんぽう ※)の場にちゃんとあるのです。

 と書かれていた。理想や期待、欺瞞は「往生の妨げ」になるらしい。「往生とは今を生きること」であり、「たい・たら・ぶり」は「今を生きることの妨げ」になるらしい。

・往生とは今を生きることなのか?

往生とは「今を生きること」なのだろうか。往生することが現世において定まることが重要なのであり、決して「今を生きること」が往生を指すものであるとは思えない。「この身このままをいただく」ことができずに、いただけない自分を抱えた自分自身がそれでも往生が定まっているということが重要なのではないだろうか。

・人間の意志が往生の妨げになるのだろうか?

確かに悟りの境地を目指すならば、人間の邪な意志や理想はその妨げになるかもしれない。しかし、それは浄土真宗における「往生の妨げ」だろうか?そんな意識を持ちながらも念仏すれば往生が定まるというのが親鸞の教えであり、それは「念仏者は無碍の一道なり」という歎異抄の言葉が示すところのものでもある。神や魔界さえも妨げにならないのだから、「たい・たら・ぶり」が往生のさまたげになるわけがない。

教えから念仏が抜け落ちてしまうと人間の意識に問題が集中してしまう。念仏の超越性を欠けばそれは浄土真宗でもなければ、浄土門でもない。それは人間が自分の意志によって自らを克服するような宗教なき人間中心的な世界観でしかないのである。

これは自己啓発となんらかわりがない。振り返って考えると、お念仏の教えを話してくれる法話はそこまで多くないように思われる。自覚という「意識」、問いという「意識」…どこまでも人間の意識でどうにかしようとする話ばかりである。「どうにもならない」から念仏が絶対的に必要なのではないのだろうか。

・以下、余談

真宗会館のこの法話の全文を読もうとしたら、「ログインして続きを読む」と書かれていた。なぜ会員にならなければ読めないのだろうか?開かれた空間として聞法の場があるのならばこんな登録など必要ないはずだが…??

仏像は売ってはいけないのか?:『ともしび』3月号「法宝物」上場顕雄

『ともしび』3月号の「聞」には教学研究所嘱託職員の上場顕雄という方の文章が掲載されていた。趣旨は、本尊や名号といったものは骨董品ではなく「法宝物」、教えや法を伴うものであり、それは売買してはならないというものであった。私自身は別に売ってもいいと思っている。

本尊を売るということ 

上場によると本尊は骨董品ではないという観点から売ってはならないそうだ。

本堂内陣で長い間、荘厳され給仕されてきた掛軸などは、延べ何千人、何万人の門徒・参詣者が掌を合わせ崇敬してきた歴史や重みがある。単なる古い品物ではない。 

確かにその通りだ。仏像や掛軸は単に古い品物ではない。ずっと相続されてきたものであり、それは古さに値打ちがつけられるものではなかろう。しかし以下からの主張には同意し難いものがある。

それらの荘厳と共に寺院生活をしてきた寺族が品物として処分する心境はいかがなものであろうか。 それ以前に真宗人として、宗祖の門徒として「法宝物」に給仕してきたことが何であったかが問われよう。

果たしてここまで断言できるだろうか。「荘厳を売らなければならない状況」というものは殆ど想像を絶するもののように思われる。それが金目的で卑しいものであったとして、仏具を売らなければならないほど困窮する状況が存在するのである。これを書いた上場という人も「やむをえない事情があったであろうと推測する」と述べているが、そのように推測しながらも売ってはならないと断言しているが、心のない言葉のように聞こえる。

売ってはならない仏像を何らかの形で処分するには? 

売ってはならないのならば、本尊等は本山(東本願寺)に返却(?)しなければならないのだろうか?上場氏は「返却すべき」と記している。

真宗寺院所蔵のそれらは、廃寺になる場合には本山に返却するのが本来であろう。 

はたしてそうだろうか。本山に返却したところで本当に丁重に扱われるのかどうかは不明である。おそらく倉庫かどこかにおいやられるような気がする。そう考えると、あまり仏具や掛軸にとってはいい待遇であるようには思われない。しかも、親鸞自身は「売ってはならない」とか「しかるべき場所に戻せ」とか、そんな風には思っていなかったということが口伝鈔にもちゃんと書かれている。口伝鈔にはこう書かれていた。

弟子同行をあらそい、本尊聖教をうばいとること、しかるべからざるよしの事。常陸の国新堤の信楽坊、聖人親鸞の御前にて、法文の義理ゆえに、おおせをもちいもうさざるによりて、突鼻にあずかりて、本国に下向のきざみ、御弟子蓮位房もうされていわく、「信楽房の御門弟の儀をはなれて、下国のうえは、あずけわたさるるところの本尊をめしかえさるべくやそうろうらん」と。「なかんずくに、釈親鸞と外題のしたにあそばされたる聖教おおし。御門下をはなれたてまつるうえは、さだめて仰崇の儀なからんか」と云々 聖人のおおせにいわく、「本尊・聖教をとりかえすこと、はなはだ、しかるべからざることなり。そのゆえは、親鸞は弟子一人ももたず、なにごとをおしえて弟子というべきぞや。みな如来の御弟子なれば、みなともに同行なり。念仏往生の信心をうることは、釈迦・弥陀二尊の御方便として発起すと、みえたれば、まったく親鸞が、さずけたるにあらず。当世たがいに違逆のとき、本尊・聖教をとりかえし、つくるところの房号をとりかえし、信心をとりかえすなんどということ、国中に繁昌と云々 返す返すしかるべからず。本尊・聖教は、衆生利益の方便なれば、親鸞がむつびをすてて、他の門室にいるというとも、わたくしに自専すべからず。如来の教法は、総じて流通物なればなり。しかるに、親鸞が名字ののりたるを、法師にくければ袈裟さえの風情に、いといおもうによりて、たとい、かの聖教を山野にすつ、というとも、そのところの有情群類、かの聖教にすくわれて、ことごとくその益をうべし。しからば衆生利益の本懐、そのとき満足すべし。凡夫の執するところの財宝のごとくに、とりかえすという義、あるべからざるなり。よくよくこころうべし」とおおせありき。

本尊は流通物であり、たとえ山野に捨てても、その場所の有情たちがそれに救われるのだから良いと書かれているし、親鸞自身すら「自分が授けたわけではないから、取り返す必要はない」といっている本尊なのだから、ましてや東本願寺が取り返さないといけないという謂れは全くない。

第一、売買がだめなら東本願寺こそ定価で本尊を売るべきではないのでは?

東本願寺が無償で寺院に配布したのならば、百歩譲って本山に本尊を返却すべきだと言えるかもしれないが、しっかりと金銭で取引したものを「本来は本山に返すべきだ」というのはいただけない。

第一お金のやり取りで骨董品や商品のように仏像や名号をやり取りすることを禁止すべきならば、本山こそ定価で仏像や名号を売ることをやめて懇志にすべきであると思う。オークションや金銭の取引で仏像が広まれば、それはそれで流通し、いいではないかと思うし、そのような経緯で手に入れた仏像をとても大事にしている人を私はたくさん知っているので、それが悪いこととは全く思わない。本山で適当にどこかに押しやられるよりは、どんなかたちであれ人の世で出回っている方が断然いいと思う。

記事の最後にはこのように書かれていた。

残念で嘆かわしいことである。あらためて、真宗の教えに依拠した生活・日常を考えたいものである 

 と書いてこの記事は終わっているが、上で書いたような理由から「真宗の教えに依拠する」ならば仏像を売ることが悪いこととは言えないと私は思う。本尊は骨董品ではない、ということは間違いではないが、考えもなしに安易に主張することで東本願寺真宗から遠ざかっている。過去に平野修についての記事について書いたが、それも同じであろう。

shinshu-critique.hatenablog.com

「いのち」は親鸞の言葉なのか?:「サンガ」vol.152(狐野秀存「回向のいのち」)

真宗会館で手に取った「サンガ」にはまたしても意味不明なことが書かれていた。狐野秀存という大谷専修学院院長の書いた記事である。

仏教は、特に親鸞が明らかにした浄土真宗の仏教は「いのちの宗教」だといえる。 

 と書かれていた。それが根拠としているのは一体何なのだろうか?無量寿の「寿」を「いのち」と読み換えるのが常習化しているのが大谷派であるが、その読み方はほとんど無理がある。

いのちは親鸞の言葉でいえば、「回向のいのち」である。 

?????出典は??????そんなことどこにも書かれていない。

 いのちは、いのちそれ自身からのプレゼントだということだろう。

いのちはいただいたものであるらしい。「生かされている」ということだろうか。一体誰に?それは仏だろうか?では、いのちが終わるときはどうなのだろうか?死なされたのだろうか。ここでの言い逃れの道筋は予想できる。 死とは「いのち」の終わりではなく、「いのち」とはもっと広いものを対象とした言葉であって、死は「いのち」の終わりを意味していない、と言うのだろう。でも「いのちを大切に」という言葉はどう考えても生命を指すものとしか考えられないし、それ以外のものを指すのなら「いのち」と言わずに「念仏」や「教え」、「本願」と言えばいい。

ロマン主義から派生した大正生命主義を自覚ないまま、大谷派は継承し続けている。それでもいいではないか、という者もいるかもしれない。最もその思想が抱える問題を知らない者だけがそう言うことができるのだが。

「いのちを大切に」できなかったものはどうなるのだろうか。人殺しは?自殺者は?屠殺の仕事をする者は?戦場で戦った者は?「いのちっていうのはそう言う意味ではない」と言う人がいるが、注釈をつけなければならないような言葉をスローガンのように使うのはいかがなものだろうか。

この「いのちは誰のものか」といういのちの原点があいまいなままで、「いのちを大切に」と無造作に言ってしまえば、それは強者の押し付けになってしまう。 

 「いのちの原点」が存在するのだろうか?生は迷いの果てであるというのが仏教の基本的な姿勢であるはずなのだが、この「いのちの原点」を強調するのは一体何なのだろうか?それは崇高で素晴らしいものなのだろうか?「いのちの原点」が明らかになったとされたら、それは全体主義へ急降下する。ナチズムにおいてはそれはゲルマン民族であり、戦前戦中の日本では天皇だった。

いのちの原点があるなら、それは仏教としては無明と答えるべきではないだろうか?


専修学院院長だそうだが、彼が語っているのは仏教なのだろうか?

「先生」という隠語としての延塚知道:2018年度『お彼岸』冊子(「出遇い」寺林彰則)

久しぶりにブログを書いてみよう!今回は『お彼岸』冊子を読んでみることにします。こういう冊子がくると、ほんとうに批評しがいがありますし、内容がよければ注文して門徒さんたちにも配りたいなあと常々思っています。でも、今回はあんまりよくなかったなあ....。

春彼岸の季節になると、決まって先生との出遇いを思い出します。何年経っても忘れることができません。「君は、周りに人がいても楽しくないのだろう。一人でも生きていることが楽しくも嬉しくもないのだろう。それは親鸞聖人の仏教でなければ絶対に治らない病気だ」。私の闇を照らし出す言葉でした。 

と書かれていました。書いたのは寺林彰則という人だそうだが、この人の文章自体を考察する前にこの「先生」について考えてみます。「先生」とは書いているけれど、この「先生」の名前は終始明かされることがない。しかし以下のように書かれている。

 後にそれが仏教との出遇いであることを先生は、松原祐善先生との出遇いをとおして教えてくださいました。先生ご自身は松原先生から「善いところも悪いところも丸ごとあんた自身じゃないかね。どうして丸ごとの自分を愛せない者が、周りの人を愛することができますか」と声を掛けられたことが決定的だったと語ります。

松原祐善とのこの対話を何度も繰り返しているのは、この宗派にはひとりしかいないんじゃないでしょうか。もちろん、延塚知道です。なぜ「先生」とだけ書いて延塚知道の名前を出さないのか疑問ですね。この冊子に書かれている文章そのものが、宗門の人間であれば誰でもわかる隠語で構成されています。このように隠語を使う必要性は?意図は?意味は?考えれば考えるほど不気味であるし、そのことに気を取られて文章を読む気さえ起こらない。でも、まあ推測できるのは、延塚先生は生きている人だから名前を出さないことにしたのでしょうか。でも、この話自体が宗門内では周知の話なのだから、そのような懸念があるならばこの話をそもそも載せない方がいいような気がしてきます。

でもでも、まだ少し物足りないので延塚知道(松原祐善)のことばを少し批判してみよう。

丸ごとの自分を愛せない者が、周りの人を愛することができますか 

これはいったいどういうことだろうか。自己愛と博愛が仏教のテーマなのだろうか。自分を愛し、人を愛さなければ人は救われないのだろうか。自分も愛せず、人も愛せない者にこそ仏が救いを与えてくれるのではないだろうか。

周りに人がいても楽しめないことは病ではないし、一人でいることを嬉しいと思えないことも問題にはならない。そう「問題にはならない」と言ってくれるのが親鸞聖人の仏教なのではないだろうか。周りの人を愛することができる人が必ずしも自分自身を愛しているわけではない。自分を愛せなくても人を愛することは可能だし、愛はそもそも煩悩であるというのにそれを積極的なものとして語ることはいかがなものだろうか。

ポンプ小屋の話も、松原祐善の話も、その話の評価云々は保留するとして、その話をするのは延塚知道一代で十分だと思います(この時代に一浪して京都の私立大学に通ってる時点で同年代の人たちより裕福なはずですが「貧乏で」「苦労して」死にたかったそう・・・立派なご苦労をなさっている方です)。そして、若者は自分が経験したことをもっと突き詰めて考えるべきではないでしょうか。先生との出会いの話を語る場で、先生が語っていた先生の先生との話をそのまま転用するのは本当にいただけない。自我が破られるような、私自身が問われるような経験が大事と本山ではしきりに言われているが、この寺林さんという執筆者は専修学院の指導補であったのなら、もっと自分自身の話をするべきです。

でも、このようなことが起こってしまう雰囲気が大谷派には蔓延しているんでしょうね。それは「師と出遇う」というスローガンを掲げ、偏っていることに起因していて、とりあえず師匠のエピソードがあればいいやみたいな雰囲気があるんですよね。先生、先生、私の師匠は誰々で、っていう構造って危険ではないですか?「私の先生は〇〇です」って言ってる人は皆んな何故か偉そうだし、宗門で少なからず有名な人の名前しか出さないところが気にくわない。

「縁起」とは単に反実体的なのか?:大江憲成(2018年版『真宗の生活』)

「縁起」の言語はpratiya-samutpadaプラティートヤ・サムウトパーダで、 pratiyaは「〜に縁って、〜に依存して」、samutpadaは「共に生起していること」です。つまり縁起とは、物事がさまざまな事柄、はたらきを「縁」として共に関係しあいながら「起」こっている事実を意味します。

「縁起」とは相互依存関係のことを意味すると、大江憲成氏は述べている。そして、この縁起を敷衍させてこのように述べられている。

しかし縁起は、すべては関係としてあるという事実を語る道理ですので、その道理が知らされるとき、実体的な考えは根拠なきものとなります。

そこではいかなる独断もエゴイズムも虚無主義も成り立ちません。人生は決められないし、決め込む必要もありません。定義づけられないし、意義づける必要もありません。人生は人間の勝手な解釈に当てはまるものではなく、本来私たちの思いを超えて限りなく広く深く、そして豊かなのです。 

 まず、実体的な考え方とは異なるのが「縁起」であるらしい。管見の限りでは「縁起」とは原因を探るための概念である。何かの存在には原因があり、その原因を知るのが「縁起」思想ではないのか?反実体というか、もし何らかの実体のようなものが存在する場合、それには原因があり根源があるから探ってみようというのが「縁起」であり、「定義づけられない」とかそういう存在の宙づりを目指すものではない。

神や運命、差別や排除などもその考え方(実体的な考え)に基づいているのです。 

 この文章は少しどうかと思われる。神、運命、差別、排除が並列されている…。これでは、この大江という人の方が神を信じる宗教を「差別」していることになる。もはや「私は黒人と差別が嫌いです」と言っているのと同じなのではなかろうか。実際に一神教には差別的な面もあるが、神を信じる人にはそれなりの原因が存在するので、それをすべて「誤りである」と言い放つのはどうだろうか。その態度そのものが差別的である。

別の例で考えてみることにする。「私はあなたに暴力を振るわれた!」と怒っている人がいるとしよう。大江氏の理論をそれに当てはめると、『あなたが思っている「暴力」は「暴力」ではない。そのように思い込んでいるだけだ。それは定義づけられないものであって、実体的なものではないから「暴力を振るわれた」という考え方はやめなさい。もっと「豊かな」ものに目を向けなさい』ということになる。これはかなり危ない理論ではないだろうか。

私の言うように原因を探るものが「縁起」であると考えた場合「暴力であるとあなたが認識するのには何か原因があるはずであるから、それを考えよう」ということになり、その原因が究明されることになる。両者を比較して考えると、どちらが差別的なのかは火を見るように明らかである。反実体とかそんな狭い了見で「縁起」を考えた場合、それは差別を生産する。

「反実体」としての縁起も、「問い」と同様に何かと宙づりにしたがる。解答不能で定義不可能であるという態度を決め込み、そしてその領域が「豊かな」ものであると勘違いしている。その冗長な態度が知らないうちに差別を生むということには「無自覚」で「問われない」ままに。

 

大江氏の思想は、何かに固執し頑固になってしまっている人に対しては有効かもしれない。金銭に囚われすぎている人を柔和にし、その価値観から離れさせるのには効果があるかもしれない。しかしながら、大谷派の僧侶が「お金に囚われるのはやめなさい」と言ったところで効果があるとは思えない。実際にお金から離れ、世俗の価値観から離れて暮らしている禅僧のように、価値観からの離脱を実際に体現している人から「お金から離れなさい」と言われるならばその発言には重みがあるが、大谷派僧侶のように世俗的な価値観から離れずに暮らしている人からそのようなことを言われても重みは感じられない。

蓮如に対する誤読、仏の存在論:平野修「留守番か骨董品か」(2018年版『真宗の生活』)

蓮如上人は「聖教は読みやぶれ」「本尊は掛けやぶれ」ということばを残しているらしい。これは大谷派では自分がお参りするときにだけ名号を掛け、他の時には仕舞っておくと解釈されているようだ。

そこで蓮如上人は、ようのないときには、つまりお参りする本人がいないときには御本尊は巻き上げておくか、お内仏ですよ巻き戸は閉めておくのだ、と。つまり自分を抜きに、仏さまということはありえないんだ、ということをお示しになられたのですね。骨董品なら、自分抜きでも成り立ちます。しかし、蓮如上人の教えられたことから言いますと、自分自身がいないところに、仏さまはいないのだということになります。

 「本尊は掛けやぶれ」というのは本当にそんな意味なのか。蓮如上人が生きた時代、いまのように各々門徒たちが仏壇を持っていたとは考え難いし、名号の掛け軸もみんながみんな持っていたとは考えられない。時代背景に関する知識がないため定かではないが、この蓮如の文は「名号の掛け軸をいろんなところに持ち運び、掛ける」という意味なのでは?つまり、お参りするときには広げて、しないときには仕舞うという意味ではないように思われる。聖教はただ置いておくものではなく、常に繰り返し読まなければならないという文の後に続くのだから、「仕舞ったり、掛けたりしなさい」という解釈は文脈上正しいとは思えない。

 蓮如であれば教えを広めるための仕掛けをするはずだから、みんなお聖教をたくさん読んで、そして講を開いていろんな人に教えが広まるようにしろというのではないだろうか。「ただ一人で仏壇を開け閉めして、お聖教が破れるほど読む」ということは蓮如の戦略からは外れるのではないだろうか。

 つまり蓮如の本意は「掛け軸を仕舞ったままにしておくのではなく、いろんな場に持っていき、講を開くべし」ということだと思う。「自分自身を抜きにして仏はいない」とかそういうくだらない仏の存在論に展開させるのはどうかと思うし、創造的な誤読とは程遠い。仏は自分が気にしてないときにも働いているのであって、私たち凡夫の意識に伴う存在ではないだろう。菩薩のような存在が「ひとりひとりの悲しみに向き合う」という表現ならいいが、平野氏の言い方だと阿弥陀如来の存在そのものが凡夫の意識に依存するものであると捉えかねられない。

 この短い蓮如の言葉すら、大谷派は「自分自身」という言葉をつかって解釈したがる。この悪癖はどこまで続くのだろうか。しかも、こんな誤読を門徒向けの冊子に載せて配布するのもどうかと思う。この平野修という方よりも、この文章を門徒向けの冊子に掲載した東本願寺出版部の方といえるかもしれない…。蓮如が教えを人々に広めようとするための言葉が、今ではみんながひとりひとりの自閉した世界の言葉となってしまっている。「ともに」というのは一体どこにいってしまったのか。

 この平野という人はきっと門徒の生活を知らないのではないだろうか。一々朝夕、名号を畳んだり、仏壇の戸を閉じたり、そんな煩わしいことを強制していては門徒はもはや仏壇に手をつけるをやめてしまうのではないだろうか。こんな作法の押し付けは大きなお世話でしかない。そもそも蓮如親鸞がそんな細かいことを口うるさく人に教えるとは思えないのだが、読者諸君はどうだろうか。毎朝お花やお供え物を仏壇において、そして戸を閉めるものはいるのだろうか?私はいないと思う。