What is Shinshu?

真宗大谷派の思想を批判するブログ。批判とは、否定ではなく「なぜそのような考え方をするのか」「なぜそれが正しいのか間違っているのか」を論じること。

前回のブログの反響が凄い(本山納金の取り立てについて)

 前回書いた記事「集金目的の慶讃法要と納金の取り立て」がtwitterで少し拡散されたり、Facebookでもシェアしてくださったおかげでかなりの数の閲覧があったようです。このことは大谷派のみならず、本願寺派の方も共感してくれているようで問題の根深さと、いかにこの問題が可視化され難いものであったかを感じることができました。ここで読んでくれている方に提案ですが、それぞれが持っている知恵を出し合いたいと思っています。例えば、自分には教務所や本山に対してこういう不満があるとか、こんな理不尽な目にあったとか、個人が特定されないようなかたちで表現できたらいいなと思っております。

 個々人に情報を与えず、団結させないようにするというのが独裁者に最も好都合な状況であると思われますので、私たちはまず成文化されていない不透明な仕組みを可視化させ共有し、問題を共有することが何よりも強力な知恵となるのではないかと考えています。教区独自の理不尽な決まりごとなどもあるので、そういったことを知ることで「なんでうちの教区だけこうなんだ」という声を上げるきっかけになります。個々人の経験は限られているので、いろいろな知恵や経験をみんな匿名で共有することはとても大事なことではないでしょうか。

 コロナを通じてわかったこと、それは人は一人では生きていけないということです。それは大谷派がいう「人間関係が大事」とか「業縁存在としての私」とかふんわりしたことではなく、自分以外の社会全体のなかにいる人々に目を向けなければ自分自身も生きていけなくなってしまうような世の中が来てしまうと思ったからです。昨今の状況で多くの人がお金や家族、いろんなものを失っていく中でそれを人ごととせずに社会全体の問題として考えていくことの大切さを実感しています。そして、自分も困った時に周りに助けられることになるかもしれません。それは宗門のなか、宗派のなかでも同じです。他教区や他の寺院のリアルな状況を共有すること、これがよりよい同朋社会の実現に繋がると私は思っています。これが実現できなければ、一生涯「ともに」なんていう言葉を門徒さんたちに向かって使うことができないかもしれないからです。いまこの言葉を使えば嘘をついていることになります。

 今は状況が整っていないため、いずれそのような場がこの仮想空間につくれたらいいなと考えています。知の共有方法について良い方法があれば教えていただきたく存じます。良いツールがあれば是非教えてください。読んでくださっている皆様も知恵を貸してくださるとありがたく思います。コメントをくださる方やsnsで拡散してくださっている方に感謝です。押しつぶされてきた声なき声を轟かせようと思います。このブログのタイトルは「What is Shinshu?(真宗とは何か?)」です。「浄土真宗」を問い直し、「浄土真宗」を開始したいと思います。