What is Shinshu?

真宗大谷派の思想を批判するブログ。批判とは、否定ではなく「なぜそのような考え方をするのか」「なぜそれが正しいのか間違っているのか」を論じること。

歎異抄の「そくばくの業」を誤解する凡夫現るwww:三橋尚伸氏の「束縛からの解放」を視聴した感想

 この宗門は法務をしている僧侶を蔑ろにします。代わりに心理学者や医者、カウンセラーなどの経歴を持つ人を重用したりするんですが、今回はそれが裏目に出た最悪な動画を発見したので皆さんにお知らせしたいと思います。

www.youtube.com

「そくばくの業をもちける身にてありけるを」

 これは歎異抄の後序にある文章です。

聖人のつねのおおせには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐そうらいしことを、いままた案ずるに、善導の、「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」(散善義)という金言に、すこしもたがわせおわしまさず。

 ここに「そくばくの業」と書かれています。この「そくばく」は一般的に私たちが用いる束縛や拘束の意で用いられているわけではありませんが、皆さんはそのことをご存知でしょうか。これを知らない僧侶がいるようですね…わたしはかなり驚きました。三橋氏は動画の31分20秒あたりのところから、この言葉の解説をしているのですが意味不明でした。

 唯円親鸞)の言う「そくばく」は「そこばこ(若干・幾許)」、“いくつか”や“いくらか”、“数多くの”といった量を表す言葉として用いられているのですが、これを「束縛」と言う人が現れるとは…動画内でずっと「束縛されている」ってお話になられているのですが、視聴中腹を抱えて笑ってしまいました。

 これは解釈云々の話ではなく、完全なミスリード、間違い、勉強不足です。これを真宗大谷派の公式動画として配信しているというのは問題があると思うんですけど、皆さんはどう思われますか?私は恥ずかしくてたまりません。もはや浄土真宗新宗教レベル以下の間違いです。勘違いする人が増えたらどうするのでしょうか。「異なるを歎く」ための歎異抄からさらに馬鹿らしい誤読が生まれるとはなんという皮肉。寺によっては「親鸞会は間違ってるから騙されないように!!」と警告しているところもあるようですが、身内にこんな爆弾があったとは…。レッドカード、紛れも無い異安心、邪義。

 法話は生モノなので多少の間違いは仕方ない点はありますが、動画にするという前提があるのならスタッフが内容をチェックするべきでは??と思います。この動画は削除するか、もしくは「そくばく」の誤読について注釈をいれるべきではないかなあと私は思います。もし一般の方が見たら「そういう意味なのかあ」と思うだろうし、本来の意味を知っている方が見れば「大谷派ってこんなことも知らないのかよ」とバカにされる可能性があります。

 この三橋尚伸という方、もっと勉強してからご法話なさってはいかがかなと思います。最近お名前をよく目にしますが、このレベルだったとは…。歎異抄の言葉もろくに調べずに偉そうな法話をなさってるのが残念でなりません。また、この法話をなんの問題もないとしてアップロードしている真宗会館にも呆れてしまいます。誰も何もおかしいとは思わなかったのでしょうか?このレベルの仕事で首都圏の教化活動ができると思っているのでしょうか…一瞬脚注のようなものを入れているようにも見えますが、誤解を解くようなものとは思えないお粗末なテロップでした。正直、自分と同じ宗門だと思うと本当に恥ずかしい。もう一度言います、本当に恥ずかしいです。

 自分で文字を読み、既存の訳と対照させながら調べ、自分の納得のいく読みをしていく…これをせずして法を説ける身分になってみたいものですね。みなさま立教改宗も近いことですし、お偉い先生方や表面的な読解、すべてを捨てて一からお聖教を読みませんこと?「いのち」もそうですし、「そくばく」もそうです。言葉はしっかり調べて、文脈に即して読み解く、これが読解の基本です。「自分の都合に合わせて」、「自分の物差し」っていう言葉は大谷派は大好きでしょう?自分の都合や自分の物差しで聖典を読みのはやめませんか?

 

2021年1月16日現在の時点では動画が視聴できなくなっています。削除すればいい問題なのかという疑問は残りますが…発信元である真宗会館は訂正や配信に至った経緯やこの問題をどう認識しているか等を語るべきではないかと私は思います

 

2021年1月22日追記

なんのアナウンスもなく動画の問題の箇所が切り取られて編集されています。“間違った過去”をなかったことのようにして、問題の部分をまるまる消去しています。訂正やお詫びの一言を入れるべきではないかと思うのですが、「最初から間違ったことなんか言ってませんけど?」みたいな感じになっちゃってます…。このままの状態が続くようであれば、次の記事でこのような対処がなぜ問題なのかについて書かせていただきますね。